偲ぶ

小さい頃は、
お盆やお彼岸にお墓参りにいらっしゃる方々の
お手伝いをするのが好きでした。

お墓に備えるものなどの荷物を追って差し上げて、
お墓までついていきました。

お参りにいらっしゃる方々は、たいてい笑顔でした。
子どもの私が挨拶すると、挨拶を返してくれました。

小さい頃に自分に
「ご先祖様を供養する」
という意識があったかどうかは分かりませんが、
お墓参りは家族そろってするものだったので、
楽しかった記憶があります。

お参りすると、亡くなったご先祖様の中で、
記憶にある人のことについて祖母から話してもらったりしました。

見たことのないご先祖様の顔を、勝手に想像してみたものです。

祖父が亡くなったとき

大好きな祖父が亡くなったときのことです。

亡くなった日は、
亡骸の側で、一晩中お線香やろうそくの火を絶やさぬよう番をします。

私も、交代で務めました。
生前の祖父の様子を思い浮かべ、
もっと一緒に過ごせばよかった、
もっと優しい言葉をかければよかった、
と思うほどに涙があふれてきました。

でも、
次の日になると様子は一変します。

葬儀のために、準備をする人がたくさん来て、
あっという間に祖父の遺体は立派な祭壇へと連れていかれました。

この時、
祖父が「私のおじいちゃん」から、
自分から遠く手の届かない存在になってしまったことを感じました。

供養

亡くなった方を供養することは大切だと思います。

でも、供養がカタチばかりになることが嫌です。
亡くなった方を偲び、
その人との思い出をたくさん話すこと、
それが供養なのだと思っています。

ですから、
今の仏教で行われる、
葬儀などの供養の方法は苦手です。
形式ばかりが目立つような気がするのです。

心を通わせる

回忌供養では、集まった方々で故人を偲びたい。
なかなか会えない人同士、お互いの健康を喜び合いたい。
供養の場を心を通わせる場として考え、
参加したいと思います。

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