マインドセットと自己肯定感
極端に低かった自己評価
私は、自己評価が極端に低かったです。
努力して、前へ進んだとしても、自分よりも優れた人はいる。
自分なんて、たいしたことはない。
こんなことで満足しているなんて恥ずかしい。
自分が生きている意味を考えられない。
いつも、後ろ向きな考えが離れませんでした。
こうなってしまったのには理由があります。
母親からの言葉
小学校高学年になったころ、
私が生まれたころや小さかったころの話をされました。
その話は、私にとってうれしくないものがたくさんありました。
母は、お腹に私がいたのにもかかわらず、誘ってくれた甥に遠慮して、バイクに乗せてもらって出かけて行き、卓球をして遊んだということ。
生まれたのが女だったので、跡継ぎにできないと周りにがっかりされたこと。
母が自分で私につけた名前だったのに、名前に似合わない顔をしていたから、名前で呼ぶのが恥ずかしかったこと。
抱き癖がつくからと、授乳以外は一度も私を抱っこをしたことがないこと。
私が小学5年生になると、夕方にのんびりとしてはいられなくなりました。
母親と一緒に台所に立ち、母親の下働きをすることになったのです。
お手伝いができるという喜びよりも、失敗して叱られることが怖かったです。
下働きは、できて当たり前。
母親の考えていることを先回りして行動しなければ、叱られることもありました。
親戚(いとこ)が泊まりに来ても、下働きはさせられました。
存在を肯定してもらえていない
祖父母は私をかわいがってくれました。
でも、母親が私に対してすることに、割って入ることはありませんでした。
当時の母に、
跡継ぎを生んでいないことへのプレッシャーがあったのか、
嫁姑問題があったのかは分かりません。
ただ、ストレス発散の先が私だったのでしょうか。
私はある夜、とつぜん外に締め出されてしまったのです。
まだ弟が生まれる前でしたので、私が2歳ごろのことでした。
なぜ外に出されたのか、理由は全く覚えていません。
祖父がカギを開けてくれるまで、
理由もわからず泣きながら裸足で外にいました。
それがトラウマとなり、
母親が世界で一番怖い存在になりました。
母親に、自分の考えを言うのが怖くなりました。
何をするにも、母親の顔色を窺うようになりました。
甘えたことはありません。
生まれたことを喜ばれなかった私は、
母親に嫌われないよう、叱られないようにするのが精一杯でした。
存在の赦し
私が、
自分の存在を赦せるようになったのはごく最近です。
松田様やひまわり様に出会うことができ、
お二人の教えを受けて、変わることができました。
救われました。
本当に感謝しております。
もしも、お二人に出会えなければ、
自分に自信が持てずに、いつまでも母親の考えの範疇で、
他人の人生を歩いていたでしょう。
自分の命を大事に考えることができなかったと思います。
いくら感謝してもしきれません。
本当にありがとうございます。
宇宙意識
私が、今ここに存在しているのは、
宇宙の大いなる神様が、
私が生まれることを祝福してくださったからだと思います。
私が生まれるためには、
きっとたくさんの奇跡が重なったのだと思います。
母親の希望や考え方などといった、自分の外側の価値観によって、
自分の存在に意味を付けてしまっていました。
でも、自分の人生はそうではなかったことに気付きました。
過去は妄想。未来は幻想。
過去の辛かったことをそのまま引きずるのではなく、
過ぎ去ったことから学び、反省して区切りを付けます。
過去からの延長がそのまま未来になると思うのではなく、
今この瞬間を真剣に生きようと思います。
外側からの支配を受けない自分の価値観で、
自分の存在を赦します。
今この瞬間に生きていることに感謝します。
私は、自分の心と直感を信じ、
自分の人生を生きます。
宇宙意識、因果応報、霊性…
マインドセットが、私を助けてくれました。
もう、二度と
自分を粗末に扱うことはありません。