生まれた意味
奇跡 奇跡 奇跡
人間としてこの世に生まれてくる確率は、
なんと1400兆分の1なのだそうです!
100万分の1の確率は、統計上無いに等しいそうですから、
私たちが今こうして生きているのは奇跡としか言いようがありません。
虫として生まれてきたかもしれない。
猫や犬だったかもしれない。
いいえ、
そもそも生まれてこなかったかもしれない。
そう考えると、
生きているだけで、何と幸せなんでしょう。
これは、神様の力です。
神様に生まれることを祝福されて、ここにいるのです。
生まれてから、
やれ「男の子じゃないから跡継ぎになれない」
やれ「長男は大切だ。長女は下働き手だ」
と言われても、
それは自分が生まれてから人間(家族)が勝手に意味づけしただけの話。
神様のお力から考えたら、それこそ「どうでもいい」ことです。
でも、私は今まで、
そんな「どうでもいいこと」にとらわれてしまっていました。
外側の価値観に押されて、自分を見失っていました。
せっかく神様からいただいた命を、大切に扱っていませんでした。
この様な大事なことに気付かせてくださったのは、
松田様とひまわり様です。
過去は映画のようなもの
私は、
過去の出来事にとらわれていました。
言われたきつい言葉
された怖かったこと
嫌な扱い
それらを、何度も何度も心の中で再生していました。
嫌だと思っていたことなのに、
それを、まるで心に刻み付けようとするがごとく。
松田様は、過去のことは映画のようなものとおっしゃいました。
過去のことは、今現在ここにはないこと。過ぎ去ってしまったことです。
でも、
心の中で鮮明に何度も再生されます。
ただ再生されるのではなく、自分で勝手にどんどん編集していました。
辛いことはよりつらく。
嫌だったことはより嫌なものとして。
映画監督の自分は、極端に(自分に都合が良いように)編集していたのです。
恐ろしいことをしていました。
松田様やひまわり様からのマインドセットのおかげで、
やっと大切なことに気付くことができたのです。
自分を大切に扱う
以前は、生まれた意味を考えすぎていました。
必要とされて生まれたわけではない、と思い込み、
自分で自分を縛り付けていました。
自分で自分を苦しめていました。
さも、家族から四六時中苦痛を与えられていたかのように。
今思い返すと、嫌なことばかりではありませんでした。
大切に面倒を見てもらったこと、
優しく接してくれたこと、
自分の事より、私のことを考えてくれたこと、
いろいろと思い出しました。
私は今、自分を大切に扱うことができるようになりました。
私は今、母親を理解することができる用意なりました。
私は、
愛とまごころを周りにどんどん伝えていきます。
与える人になります。
それが自分の使命だと考えます。
松田様、ひまわり様、
本当にありがとうございます。
感謝の気持ちでいっぱいです。