開いていた窓は…
見せられていた世界
小学生だった頃、
どういうわけか、漠然とした疑問がありました。
私に見えている世界と、
周りの人に見えている世界は同じなのだろうか、と。
もしかしたら、
見えている世界は違うのかもしれない、と。
その時は、
「自分が持っている目の性質は他の人と同じだと思っているけれど、
本当はそれぞれ違っていて、
同じ世界も見え方が違うかもしれない」
そう考えていました。
例えば、
私には青く見えている花瓶も、
他の人には白く見えているかもしれない、と。
ものの見え方について、それは半分正解でした。
各自が持っている目の性質は同じでしたが、
どの方向に対して、どんな窓が開いているかによって、
世界の見え方は変わっていたという事です。
昔から身近だったメディアとしてのテレビや新聞は、
私にとって当たり前のように開いていた窓でした。
私は、何の疑いもなく、
そこから見える世界を本当の世界だと思っていたのです。
私は、
いつも身近に開いていた窓から、
加工された世界を見せられていたのです。
窓は自分で開く
新聞やテレビは本当のことを伝えている。
嘘なんてつかないはず。
そう思っていましたので、
何の疑いもなく情報を鵜呑みにしていました。
でも、
ネットから自分で情報を選択できるようになると、
同じ事柄に対しても、
いろいろな方向から見て調べて発信している人がいることに気付きました。
そして、それらは、
一般のメディアとは違った見解であることが多かったです。
誰が、
どんな目的で、
どんなふうに情報を解釈して発信しているのか、
これらについて考えて受け取るようになりました。
真実を追い求める
今は、
何も考えずに情報を鵜呑みにすることはなくなりました。
立場によっては、
同じ出来事に関しても、
受け取り方や考え方などが異なります。
超多様性の時代では、
誰かの正義は誰かにとっての不義です。
私は、
俯瞰的に物事を見たいと思います。
そして、
自分自身に誠実に、
自分にとっての真実を追い求めます。