他所のお子さんよりも、自分の子どもたちのことを考えることにしました
知らずに我慢させていた
仕事をしていたころ、
毎朝私は、実家に二人の子供を預けてから出勤しました。
「行ってきます。なるべく早く帰るから、待っててね。」
長女はそこから幼稚園に通い、
次女は実家で一日を過ごしました。
なるべく早く帰るから…
毎日そう言っていましたが、
早く帰ることができた日は、
数えるほどしかありませんでした。
毎日、
早くて夜7時頃に、
疲れて眠くなった二人を迎えに行きました。
朝も昼も離れているので、
せめて夕食は家で一緒に食べたいと思いました。
帰ってから、
なるべく早く夕食を作り、
ささやかな家族団らんの時を過ごしました。
と言っても、
食べ終わるとすぐに片づけて、
なるべく早くお風呂を準備し、
二人をお風呂に入れて寝かしつけます。
絵本を読んであげる時が、
幸せを感じる人時でした。
いつもいつも
「なるべく早く」を心がけるしかなく、
娘たちと、
「今をゆっくり過ごす」ことは難しく感じました。
私もこの状況を我慢していましたが、
娘たちはもっと我慢していたのです。
「お母さんにはがきを書くの」「ここに隠れて!」
母が、私にこういったことがあります。
「○○(長女の名前)ちゃん、『おばあちゃん、はがきちょうだい。お母さん、返ってくるのが遅いから、お手紙書くの』って言ってたよ。」
はがきなんて、
急いで書いてポストに入れても、
相手に届くまでに数日かかります。
携帯電話を持っていなかった頃なので、
電話をかけるという事を考えることができなかったのでしょう。
なるべく早く母親に帰ってきてもらいたい思いを伝えたかったのだと思います。
普段は無理を言わない長女だっただけに、
胸のあたりがギューッと苦しくなりました。
次女も、
こんなことがありました。
私が迎えに行ったある日、
「おねえちゃん、ここに隠れて!」
かくれんぼをしていたようなのですが、
隠れるところを指定していました。
いつも待つことが多く、
自分の思い通りにならない毎日を過ごしていたのです。
せめてかくれんぼでは、
隠れるところを自分の思い通りにしたかったのでしょうか。
私は、
まだ小さな娘たちに、
こんなにも我慢させていたんだな、と思いました。
ごめんね。
限界と出した結論
娘たちと、
もっとゆっくり過ごしたい。
甘えたい盛りの娘たちに、
こんな我慢を強いたりしたくない。
そう思うようになりました。
娘たちが風邪をひいたりすると、娘たちの体調を心配する一方で、
「仕事をどうしよう。休めるかな。時間をもらえるかな。」
そんな心配をしていました。
娘たちの体調を第一に、
それだけを考えたい。
「どうしよう。」
なんて、考えたくない。
だんだんと、
娘たちとの生活に対する我慢が限界に達していきました。
そして、
他所のお子さんの事よりも、自分の子どもたちのことを考えることにしたのです。
仕事上、
私でなくても代わりの人はたくさんいます。
でも、
娘たちの母親は私しかいません。
どんなに非難されようとも構わないと思いました。
幼い娘たちとの時間は、
今しかありません。
後になってから、
この時の時間を取り戻すことができないのです。
自分の選択に覚悟を持ちました。
そして、
その選択に、
今でも全く後悔していません。