学校教育
大事な子どもたち
私は、小学校の教員をしていたことがあります。
お預かりするお子さんたち。
お子さん一人一人の後ろに、
大事に思って育てていらっしゃる親御さんたちを日々感じていました。
自分が携わったことが、
少なからず子どもたちの人生に影響すると思うと、
自分の仕事の重大さが身に沁みました。
気を引き締めて、しっかり指導できるよう頑張ろう。
一日も早く、仕事を覚えよう。
新任の私は、先輩教員から教わることをよく聞いて、
「一人前の教員」を目指していました。
決まり事
学校生活には、
子どもたちが守るべきものがたくさんありました。
廊下は走らない。右側を歩く。
名札を付ける。
ランドセルのほかに持つカバンや上靴など、
持ち物についての決まりに従う。
授業中は静かにする。
でも、話し合いなど、教師が望む場面では意欲ある行動を促す。
(意見が出てほしい場面ではどんどん話してもよいが、
教師がストップと言ったら静かになる)
などなど…。
でも、これらは、
子どもたちにとって必要なことではなく、
子どもたちを都合良く動かすための、
教員、学校にとって必要なことだったのです。
私も、
指導するべき事項だと先輩の教員に言われれば、
その通りに従っていました。
そして、
何年間と勤務するうちに、
外から見たらおかしく見えるであろう指導方法にも
だんだんと慣れていきました。
今なら分かります。
学校は、黙って動く従順な作業員を育成する場だったのです。
そして自分も、
育成するためのシステムの歯車になっていたのです。
同じだった
戦時中の学校教育について歴史で知ったとき、
なんてひどいことをしていたのだろうと思いました。
でも、
今も変わらないかもしれません。
自分で考えることはせずに、
従順に働く作業員を育てているのですから。
学校現場は人員が極めて少なく、
学校教育に使える時間は限られています。
教員に、精神的な余裕はありません。
上から言われることを実行することで精いっぱい。
内容を精査する暇もありません。
学校現場の人員の少なさは、
教員に余裕を持った指導をさせないための
ある種の策なのではないかと思うほどです。
私は、ある理由により教員を辞め、家庭に入りました。
学校というものを外から見ることができるようになると、
学校のシステムに、自然と違和感を持つようになりました。
あのまま勤めていたら、
違和感を持つことなく、
学校独自の考え方に染まってしまっていたでしょう。
あのまま勤めていたら、
戦時中の教員のように上から言われるまま
無意識に子どもたちを指導してしまっていたでしょう。
恐ろしいことを続けるところでした。
辞めるきっかけは偶然でしたが、
今はそれでよかったと、ほっとしています。